言語伝播に於けるアクセス容易性の作用
集積量に比例・アクセス容易性の二乗に比例
言語話者数最大の中国語や、21世紀にその座を譲られると目されているスペイン語よりも、英語の国際的な地位が手の付けられない程に増しているので、単純に話者数だけを論じることは適当ではないでしょう。
メトカーフの法則が依拠しているライリーの法則については、見逃せない点がまだあります。ライリーの法則を援用した小野五郎氏の論文を上記Wikipediaから孫引きしますと、関連性を見つけて感心してばかりもいられなくなります(強調部は本記事の筆者による)。
小野五郎アジ研研究主幹(当時:現埼玉大学教授)は、「ソフト化時代の地域振興」(『通産ジャーナル』1988年8月号収録)の中で「ライリーの小売り引力の法則」(顧客吸引力は、人口ないし品揃えに比例し、距離の二乗に反比例する:これを一般化すると、「集積によって発生する効果は、集積量に比例し、アクセスの容易さの二乗に比例する」となる)を情報集積に応用し、「情報通信ではアクセスは無視できるから、情報集積の全体効果が集積量の数乗倍で利いてくる」としていた。
この、アクセスの容易さの二乗に比例するという下りが味噌です。
いかに中国語話者数が多いとはいえ、中国語圏はそれほど広くありません。これに比べ、スペイン語は南米等、多くの国々でも話されています。言語帝国主義ではないかという指摘は概ね正しくて、中国は非植民地であり、スペインは植民をしていたという歴史的事実によるものです。
実益ではなくて趣味で中国語かスペイン語を学ぶ場合には、それが例えば海外旅行という目的意識によるものである場合には、単純に国の数で勘定した語圏の広がりはスペイン語の方が優っており、中国等の行き先に比べて、スペインのみならず南米も旅出来るとすれば、その訴求力は中国語よりも大きいでしょう。勿論現実的には実利が優るので中国語の方が最近は隆盛ですが、これはすぐ後で述べます。
英語は話者数とアクセス容易性を備える
英語もやはり然りで世界中で話されていますが、アメリカが世界の盟主となった20世紀に英語が広がったのは、アメリカが経済によって世界の支配に成功したからということも多分に作用しています。英語が出来れば世界と商売が出来る。むしろ英語が出来なければ世界と商売出来ない、と。政治的・経済的に重要な英語を学ぶ流れは定まったも同然です。
例えば日本はアメリカが事実上の宗主国となっています。その是非はともかく。効用にも着目し、損得を冷静に判断すべきだと思いますし、少なくとも得を享受している私はアメリカに唾吐くことは出来ません。本論からは外れるので閑話休題閑話休題。アメリカとのお付き合いが国際社会での政治的お付き合いの筆頭でありますし、経済の世界でもアメリカとの商売が国際的な商売の常套です。従って、世界の話者の趨勢はともかく、英語を学ぶ必要性が一番高くなります。
母語と違う言語を学ぶ際には、必要に迫られて学ぶという構図が妥当でしょう。我が国はこれを国策として、中学・高校の外国語科のほぼ全てで英語を教えています。つまり、必要に迫られてアクセスするというユーザ側の心の持ちようもありますし、社会自体が英語へのアクセスを容易にするように形作られているのです。英語を公用語としない国での外語事情は、概ねどこも上記の通りではないでしょうか。
結論として、小野氏の理論を言語に適用すると、話者数という情報の集積は比例に効いてくるのに対し、以上のようなアクセス容易性はその二乗の比例で効いてきます。つまり話者数がいくら多かろうが、決定的な差はむしろアクセス容易性によってこそ生じ、後者が富んでいる言語が優ると換言出来るでしょう。
近年経済界で中国語がとみに注目されだしたのも理解が行く話です。スペインや南米は旅行先としては魅力的で、その方面での言語の訴求力はありますけれども、貿易高は中国が圧倒的です。話者数で英語<中国語<スペイン語となっても、重要性が英語>中国語>スペイン語であるのは、BRICsの一翼・国連安保理常任理事国・経済への依存度・すぐ隣という特徴を備えた中国が、経済的・文化的・地理的・国際政治的な重要度に関してスペイン語圏よりも高いという事情に由来すると考えられます。
アクセス容易性はインターネットによって爆発した
アクセス容易性としてまじめくさった話を挙げましたが、情報技術屋にとってのアクセシビリティといえば、ウェブアクセシビリティが一番に思い付きます。まったく関係のない話どころか、むしろ言語にとっては密接に関わってくるものです。
インターネットが普及し、メールのやりとりが瞬時に行え、TTT(WWW)によって情報発信が個人でも自由に行えるようになり、活版印刷以来の情報革命が生まれた20世紀末以降、情報のアクセス容易性は指数関数的に増しています。インターネットとはモノというよりは媒体であり、そこでやりとりされる情報の少なからぬ割合が自然言語です。否応なしに世界と個人が直面する時代になったわけで、街で外国人を見て驚いた時代はいつへやら、海外に出掛けるまでもなく、いまはキーボードとマウスの先のディスプレイに外国人の手になる外国語の情報が溢れ返っているのです。
「海外旅行に行かないからいいもん(添乗員や通訳がいるからいいもん)」だとか、「我が社は国内専業で、かつ、海外の技術等にも一切興味がない」だとかという強がりももはや意味をなさず、英語でのやりとりすることも必然的に増えるでしょう。そうなればますます英語の重要性が増します。
また、インターネットはその仕組みが基本的に英語で規定されています。WWWをTTTにせよと言ったところで、明日から全部のサイトのwwwサブドメインがtttに変わるわけではありません。
インターネットの普及はエスペラントに引導を渡しかねない
こじつけによるトンデモギャグが好きなのでMMRネタを引きずって悪のりしますが:
「インターネット普及は、エスペラント抹殺を企図するアメリカの陰謀だったんだよ!」
「な、なんだってー!」
いや、陰謀は流石に冗談です。しかし、このインターネット普及による英語の重要性の再評価は、エスペラントにしてみれば小事と片付けられません。英語が国際語然とした風格をいや増すのに対して、エスペラントは如何でしょうか。
英語が広がったことを言語帝国主義的だと論じるのも簡単ですが、むしろこの現代では言語経済主義です。植民地への言語の押しつけによるものではなく、人は善意から経済的な言語を勧め、そして自ら進んで経済的な言語を学ぶでしょう。
さて、危機感を不必要に煽ってしまいましたが、それでは今後エスペラント普及運動は何を目指し、どのように進むべきなのでしょうか。 大上段に構えてしまいましたが、一人のエスペランティストとしての所感を最後のページにまとめてみました。