最大の危機、或いは最大の好機
ウェブログは日本語が一番・エスペラント版Wikipediaは隆盛
芸能人辺りがブログ=日記感を植え付けたのが原因と思いますが、ウェブログの本来の思想とは裏腹に、日本ではウェブログがやや特殊な文化として伝播しています。その是非はともあれ、物の報道によると、世界のウェブログで使用されている言語の第一は日本語であるとのことです(上記Wikipediaのリンク先より、ウェブログ「Sifry’s Alerts」上での「The State of the Live Web, April 2007」という米Technorati社の発表や、それを元にした記事「英語を超えた日本語ブログの投稿数,その理由は?」による)。
自身も雨後の竹の子の一人としては自省しつつも、玉石混淆はむしろ多様性のために欠かせない状態であると考えます。ノイズを嫌うよりも、秀逸な光る記事への出会いをこそ楽しむべきであり、溢れかえるこのウェブログの現状は可能性の揺籃だと思います。
さて、このように、インターネットによりアクセス容易性が爆発したといっても、単純に英語が一人勝ちを収める訳でもないという例が判りました。エスペラントもこれに類する活躍の場があるのではないでしょうか。
例えばこの記事でも色々引用リンクを張っているWikipediaも、エスペラント版の記事収録数は世界255言語版中19位の93,904件です。世界1位の英語の2,203,154件のには遠く及びませんが、実に4.26%を占めているこの割合は、母語3.8億・第二言語6億・外国語として10億人以上という英語話者に対するエスペラント話者の割合0.1%に比べれば大した物です(話者数は左記Wikipediaの記事より引用)。
変化をただ恐れるのではなく、変化を利用するという、まあ有り体に言ってしまえば手垢の付いた言い回しですが、ともあれそういう前向きな姿勢を忘れてはならないと、改めて感じました。
費用対効果にも着目
最初に引用したウェブログの耕す畑であるところの携帯電話業界は、孫氏の掲げる「一見安いが実は高い」やWILLCOMの「小細工一切なしの真実一路な定額制」等のサービスの優劣はありますが、どんなに馬鹿げた使い方をしても通話料(除くデータ通信料)ではせいぜいが数万円といったところです。通常の使い方をしている私であれば1万円にも満ちませんし、試算してみましたが、NTT DoCoMoを契約したとしても同様です。従って、携帯電話であれば良いサービスだったとしても(WILLCOMはサービスは良いのに売り方が下手でつくづく歯痒いのですが、それは措くとして)「でも○○のサービスが対応してないし」という声には無力で、天秤に掛けられて勝てばともかく、あちら側(コンテンツの充実という訴求点)に傾いてしまえばそれまでです。
この点で、言語学習に掛ける費用は果てがありません。ASCIIの遠藤諭氏(最近はホーテンス=S=エンドウと名乗らないのが寂しいです)が看破したように英会話学校が「挫折産業」であるとか、中高大10年掛けてもろくに英語を読めない掛けない聴けない喋れないという有様であるとか、その大変さは折り紙付きです。小学校からの英語教育などは噴飯物で、国語こそをしっかりと身につけるべきだとの論に諸手を挙げて賛成しています。
で、いかんいかん閑話休題。エスペラントを紹介する際の理論武装の常套ですが、一応振り返っておきましょう。勿論、純粋な経済効果は英語に太刀打ち出来るどころの話ではありませんが、エスペラントは(比較的)学習時間が短くて済みます。従って、効果を費用(学習時間というコストも含む、以下同じ)で割った際の歩合は、英語に優るとは思いませんが、少なくとも純粋な経済効果だけの歩合よりはましになります。何せ相手は天井知らずなのですから。
勿論、上級者への道は結局のところ長く、印欧語圏とはまったく違う日本人にとっては英語ほどでないにしても費用が掛かるのですが、中級者程度であれば少なくとも確実に割がいい言語です。
最後は一欠片の理想を
エスペラントにしかないもの
先の携帯電話の例は一般市場向けの話で、私などは携帯電話用サイトなんてものは総じて興味がありません。ビジネスに役立つものであればともかく、若者向けのコンテンツなんて何が楽しいんだろうかとも思います。携帯電話しか使わずに(その結果として携帯電話しか使えずに)にPCが使えないという間の抜けた話には呆れるばかりで、こんなところで情報格差が広がっていると論じられても苦笑するしかありません。お気を悪くされたとしたら本当に申し訳ないのですが、あくまで私感ですよ! そこで考えてみれば:
- IP接続だといっても携帯電話向けの限定された情報ではなくPC向けサイトを自由にアクセス出来るWILLCOMは便利で、
- しかもその方法もフルブラウザ方式だなんてプロクシを通したしみったれたものではなく、WILLCOMなら電話機でPC向けサイトを閲覧出来ますし、
- 軟派な話題として「着うた」が使いたければ、既得権益の手垢が付いた(しかも音質の悪い)データをわざわざダウンロード購入するまでもなく、自分で買ったCDを自分でmp3等に変換して自由に高音質で設定出来るWILLCOMの懐の広さといったら!
このように、私にとってはサービスがまさに直球ど真ん中に来たので食い付いているだけなのですが、エスペラントを言語として広めるということはつまりは営業活動で、営業であるなら訴求力に富んだものを提示するまでです。な~んて、100%子会社のぬるま湯で営業がない甘ったれた会社の戦闘員が世間知らずにも論じてみましたが、エスペラントならではの利点は(比較的な)公平性や、その(比較的な)論理性にあります。
理想は大事で、全ての原動力になりますが、理想だけで人は動かせません。敢えて冷静にエスペラントの現状を批判的な目で振り返りましたが、しかしエスペラントの持つ、比較的公平な橋渡し言語としての役目はいささかも減じられていないと考えます。こんな面白い言語は、理想主義者だけの慰み物にしておくのはあまりにも勿体ありません。
決意を新たに
メトカーフの法則に基づく下げ圧力を跳ね返して、今日までエスペラントの命脈が保ち得たのも、先人達の偉大な普及活動によるものであり、今を生きる私としては頭の下がる思いです。それこそ、理想を燃やして普及に勤しんでいただいた成果が現代の話者数を形作っているわけです。そうであればなおのこそ、次代に繋ぐ歴史の架け橋となって、この「橋渡し言語」であるエスペラントを普及させたいという思いが新たに生まれます。
さて、放っておいたら下り方向の螺旋階段が出来上がってしまいます。従って、エスペラントの普及は見えざる手に導かれるがままにするのではなくて、積極的に運動を推し進める必要があります。ヤクルトの語源であるだの、丸の内オアゾの命名に採用されたくらいで浮かれていてはいかんのです。いや、某損保の本社にほど近いOAZOを報道で知って浮かれていたのは私だけかも知れませんが、ともあれ経済性に着目するのであれば、そこに効いてくるように魅力的なコンテンツを自分で提供するという案が浮かびます。
例えばWikipediaのエスペラント版の編集に勤しむのも一つの手でしょうし、このインターネットを活かして、メールやウェブサイトによってエスペラントでの情報を世界に発信するのも素晴らしいです。私の場合は、たまたまそれが翻訳システムであっただけのことです。
エスペラント翻訳システムを設計・開発している私は、確かに知的好奇心の発露であるという側面は否定しませんが、エスペラント普及の一助になれば、という思い故にこそ、手弁当で営みを続けているのです。エスペラントの魅力的なコンテンツ提供者になれれば良いなという夢を抱き、これからも設計・開発を続けて行くつもりです。